青い鳥の思い出
 ルポ/プリリン

8年前の8月、私と中三の娘、悦友さん2名は信濃境にいました。
当時の感動を拙い文章で綴った思い出が新たに蘇ってきました。
私の青い鳥。

  長い人生の間に二度とこんな、ラッキーな事はないと思いますが、豊川さんが仕事をしている現場を見学できる事になりました。
勝手な野次馬でしかすぎなかったのですが、青い鳥のロケが長野からという事で、なんとか駅伝いに電話で尋ねて信濃境と言うことが分かり、漸く当日を向かえました。

 本当に夢のようで、夜も眠れず、胸がときめいて、血が騒ぐというか、心が弾んで足取りは軽くステップをふんでいるような、舞い上がった気持ちでした。
いい歳をして、主人に内緒で、ひと時のアバンチュールを楽しむような、ちょっと後ろめたさを感じながらも嵌っていく私でした。

 豊川さんがいついらっしゃるのか、ドキ・ドキして待っていると、スーと目の前を黒のゴルフで登場。
まさかご自分の車でいらっしゃるとは夢にも思わず、あぁ〜〜という間の出来事でした。
黒のタンクトップを着ていらして本当にカッコ良かったです。

そして、制服に着替えられて出ていらした時の・・・ゴックン・・・息を飲むような凛々しさ、「あぁ〜〜足、
長〜〜〜〜い!」と言う娘の感嘆のつぶやき。
白の開襟シャツと紺のズボン、ピカピカの革靴。本当に、本当に素敵でした。

 詩織役の鈴木杏ちゃんと何回も、何回もボール投げの練習をして、生の豊川さんの声が聞けて本当に幸せでした。
 「後ろへ下がりながらキャッチしたら、すぐに前に体重移動して、走って投げる。早く攻撃の体勢に移るのがドッジボールのコツ。分かった?」と豊川さん。
この時私は、豊川さんが杏ちゃんとドッジボールで遊んであげているのだと勘違いしたんですが、それ位、自然で、豊川さんが優しそうで、杏ちゃんも嬉しそうに見えました。
そしたら、「本番いきます。お静かにお願いします」だったんです。

 ギャラリーが多くて大変な騒ぎだろうと思っていましたら本当に見学者が少なくて、良かったのか?悪かったのか?目と鼻の先にいらして、ちょっと?かなり恥ずかしかったです。


ロケを見学できたのは8月の2、21、22日でした。

                                            1997年9月


 10月12日と27日にお逢いした時は豊川さんが違って見えました。
12日にお逢いした時は、髪も短くされて、すっかり痩せていらっしゃる様に見えて、お顔も青白く感じられ理森さんは、追いつめられて、愛する人も失い、刑務所にまで入って本当に辛い立場に立たされているんだろうと、ドラマの役作りとはいえ胸が痛くなりました。
スタッフの女性に理森さん、お顔の色が悪いですし、痩せてしまって、お元気なんですか?とお聞きしました。
メイキャップのせいですし元気ですよ。と仰っておりました。ホッ。

 

 俳優さんて、TVや映画で完成した作品を見ているかぎりでは、華やかな職業に見えると思いますが、実際には何度も、何度も、テイクを繰り返し、過酷な肉体労働だと思いました。
娘も、私もミハー気分な軽い気持ちで見学し始めましたが、役者さんの真剣な姿、走り回るスタッフさんの姿を垣間みて、社会勉強になりました。

 制作発表の折、豊川さんは、インタビユーの答えで『理森さんはもうすでに青い鳥を見つけていて、理森さんも僕もここにいる皆さんも気がついていないだけ』と話されておりましたが、豊川さんは見つけていらっしゃるんでしょうか?
 
 
                                            1997年10月


 12月2日、青い鳥が長野「信濃境」で最終ロケということでこの日も友人と見学にいきました。

 信濃境(清澄駅)のホームで理森さんと詩織ちゃんが再会するシーンを撮っていて、ギャラリーはホームの外、それもかなり後ろの方で場所を決められての見学でした。
8月の時とはかなりの違いで凄い人です。

88月の思い出



あの時、お昼休みは私達のグループ位と数人のファンの方たち位だったと
思います。
スタッフさんと、お喋りしてお昼を食べたような記憶が・・・・・・。
豊川さんも上半身裸で駅正面までいらしたんですけど、私たちがいることに
気づかれて、いったん戻って、黒のTシャツを着ていらしたんです。
休憩中なのに気をつかわせてしまって、申し訳なかったなと思いました。
こんなこともありました。
急な雨で皆が非難して、駅舎の軒にわずか1メートル?かそこらに理森さん
が接近していらして、目の前に居すぎてそのオーラに声を失うとはこのことだ
と思いました。

豊川さんは顔に汗をかきやすいらしく、あの時は暑くて大変だったんでしよう
ね。
女性のスタッフさんが二人、デレクターズチェアーに座った理森さんを左右か
ら団扇であおいだり、手に何かクリーム(日焼け止め?虫除け?)を塗り、顔
の汗を拭いたりと、しきりと、かいがいしくお世話をしているように見えまし
た。
あの時は、単純に主演俳優となるとすごいな〜〜〜ハーレムのようと思って
いました。
でも、他に見学に行かれた方にきいてみたらそんなことぜんぜんないよ。
とのことで唖然でした。

今になって8月の事が昨日のことのように思い出されました。


この日はとても寒い日でした。
遠いところからの見学で、ホームの理森さんはチラチラとしか見えませんでしたが、こちらに用がある時は、階段を駆け上り走り下りて来て、鳥かごの横、売店の横の手すりをピョ〜ンと飛び越え、その姿も素敵でした。

遠目だったので『この世の果ての』神谷征司さんの印象でしたが、TVで見た時のお顔は10年の歳月が流れ、すっかり歳を重ねられて紳士に変わり白髪まじりにびっくりしました。
お昼の休憩にロケバスに戻っていらして中がチラチラ見えているのですがやはり良くは見えなくて、そうしているうちに帰りの時間が来てしまいました。

最後までいられないのが心残りで、なんとも表しようのない気分でした。
今までは、この次はいつ頃にロケが駅周辺であるからという希望を胸に秘めた「おみやげ」があったのにもう、本当に、本当におしまい!これっきり!・・・でもまだ放送があるからと自分に言い聞かせて帰路につきました。
   
                                           1997年12月 


あとがき
私の当時の思い出はルポというより感想です。
「愛していると言ってくれ」からファンになって、あのドラマで大切な人とはしっかりと向き合わなくては
いけないと教わりました。この青い鳥の時も、すぐ側に青い鳥がいて気が付いていない。
私は大事な夫への感謝が足りなかったと反省しました。
豊川さんが演じられる作品を通して自分自身が気が付かされる事や学ばされることが沢山あり感動と感謝です。
そして、豊川さんの存在に感謝です。
                                      2005年9月