うお座の男 愛の流刑地感想文





愛の流刑地を語ろう / KK    
 なぜ、今『愛の流刑地』なんだろうと問いかけてみた。
現代は愛に飢えている時代のように感じる。自分自身もそうなのかもしれない。
この作品に、涙するのはなぜか。もう一度みたいと思うのはどうしてなのか。
日常では語りつくせぬものが、心のどこかで噴き出しているような気がする。そんな思いにさ せたこの映画の魅力を書き連ねてみた。
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冒頭のSEXシーンは予期していたものの、人間の本能を呼び起こさせる。
主演の二人から漂う生々しさが更に映像の中へと引き込んでしまい、背景に浮かび上がる冬 香に、もう自分自身が重なってしまった。
終盤での裁判シーンは、死んだ冬香が天から見おろしているようである。
そして裁判の終始を見終え、冬香は(私は)命と引き換えに得た愛の喜びのあまり涙が溢れ てきたのだろうか。
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映画には忘れられない場面、セリフ、風景がある。
なんといってもこの映画は役者の表情と仕草が生かされている。

菊治と冬香が初めて結ばれるとき、冬香の下着の肩ひもを降ろす指、浴衣を着た彼女を大切 に抱きよせ、ベッドに寝かせた冬香を見てそっと手を握る菊治の顔。
セックスシーンそのものよりはるかに悩ましく、男の色気や弱さのようなものを感じた部分でも ある。
SEXの後二人が浴衣を着るシーがある。さっと腰に帯を巻き、男が浴衣を着こなす姿は、女 から見ると妙に艶っぽく、役者豊川悦司を感じた場面である。
近頃の若い男性は浴衣も満足に着られない。

最後に、冬香の網笠からのぞく顔、笠をとり、もの言わぬ冬香。愛しさが込み上げた。
これらのシーンは台詞はないが、心の叫びを表現する役者の一番の見せ所である。
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最後に、愛の流刑地に対する私自身の個人的な発想である。
(まだまだ、客観的には観れていないが、)
原作者渡辺淳一、鶴橋監督、役者豊川悦司、この3人の男性が冬香という女性を愛し、心も 身体も開花させ、天に舞い上がらせてしまった作品である。ある意味男性の願望や憧れ的女 性像が冬香に中にあるのかもしれない。それが最後の冬香の顔に象徴されていた。
おわらを踊り、笠をとったときは、純真無垢な少女のようで、あまりにも儚くて、涙が込み上げ た。
渡辺氏いわく、女は男によって心も体も開くようにできていて、きれいに開いてあげるのが男 性の役割だからと。
花は、温度や湿度、環境でさまざまに変化する。一番美しく見えるのは、楽に呼吸していて、 朝な夕なに花びらがやわらかく自然に揺れ動いている生きた花である。
決してはじけ飛んでしまう咲き方はいけない。女はもっと咲きたい、飛んでしまいたいと願う生 きものかもしれない。純粋であればあるほどその方が美しいと思ってしまう。
飛んでしまう寸前の美しさに満足できないのが女なのかもしれない。

私はこの映画をより多くの男性に観てほしい。この3人のすばらしい男性たちが、男の視点で 女性を描き創り上げた作品だから、より男性に伝わるものがあるのではないか。  
2007/03/03  


大切な作品です。 / 慧吏雅 ☆えりあ☆
『愛の流刑地』大好きな作品です。。
原作も読みました。
渡辺淳一の作品は多々読みましたが、感動はあまりしたことがなかったのです。
いつも医師という視点で、男女を動物的に観た恋愛小説を書いている気がしていたのです が、(今回もそうだった)主人公を悦司が演じるということで赤面しつつ読み終えました。
表現があまりにリアルだったのでどのような映像に仕上がるのか正直ドキドキでした。
鶴橋監督のお料理が、あまりに美味しく、主演のふたりもとてもすばらしかったことに感動して います。
試写会には一度も当たらず落ち込み切っていた私でしたが、公開されてからのたくさんのし あわせな時間にも感謝しています。
今回11回の鑑賞は、丹下左善以来の回数です。
悦司の作品が、ヒットすることを本当にうれしいく想っています。
『愛の流刑地』の村尾菊冶は私にとって豊川悦司だけです。
みなさんもそうですよね。(当然ですね。)
ちょっと不思議は、日本テレビって『愛の流刑地』実行委員会の中に入ってますよね。
それなのにもうドラマ放映って??
せめて公開が終了してからの放映は不可能なのかしら?と私は想っています。 
2007/03/04   


菊治と冬香 / 初恋  
映画「愛の流刑地」、私は豊川さんが主演と知った時、とても困惑した。
「どうしよう・・・困った〜、豊川さんの作品は観たいけど、渡辺氏の作品は苦手だし、寺島さん も苦手、、、でも観たいし、、、」1度だけは観ないと仕方ないよな、、、と観念していました。
でも、完成披露試写会で初めてスクリーンで菊治に逢えた、あの時の感動は今も続いていま す。
冬香の「舞い上がってしまった女は、、、」という言葉が全てを語っているのではと私には思え ます。
現実問題として考えたら、周囲の人(特に子供たち)はどうなるの?
と思いますが、冬香の悩んだ末の結論が「愛しているなら私を殺して・・・」だった事が
繰り返し観て、私の中で消化されました。。。
何故でしょうか?
遠い昔の私の「初恋」を思い出しました。
多分、豊川さん以外の人が演じる菊治だったら、
私の大事な思い出の初恋を不倫映画で思い出す事はなかったでしょう、、。
「愛の流刑地」これは鶴橋監督による豊川菊治と寺島冬香だから、
こんなにも、たっくさんの人々に感動を与え続けているのだと確信しています。
原作は読んでませんが、私には読む必要がなくなりました。
私の豊川菊治は、豊川さんの作品の中で「今、一番です」
最後の「笑顔」大好きです。
今も菊治は幸せに心の中の冬香を愛おしんでいる事でしょう。
スクリーンの菊治に9回逢いました。でも、もっともっと逢いたいです。
豊川さん、心をこめて、、、『ありがとう♪』  
2007/03/04   


愛の流刑地 / ぺっぱー  
愛の形って、、、ほんとにいろいろですよね。
菊治と冬香のように、想いのままに行動できる人とできない人と
人はさまざまだと思うけど、誰もが少しは心のどこかにある願望なのでは
ないかなって思います。
ふたりの想いは理解できるけれど、最後は、、、やっぱりわたしには
よくわからない、、、です。
もう少し、菊治といっしょじゃない冬香が見たかったかな。
苦しんでいたのは解るけれど、片方しか見れないので
苦しみが伝わりきれず、理解できなかったのかもしれません。
でも、友達は、冬香の苦悩はあれだけで充分にわかるよって言ってました。
う〜ん、まだ少し、人生経験が足りないかな、わたし。
それとも、足りすぎて苦悩に感じないのか?(笑)

この映画は、エキストラにも参加でき、豊川さんとも初共演(大げさ)
できた作品ですし、丁寧な丁寧な撮影の様子も見る機会があったので、
ほんとうに忘れられないものになりそうです。鶴橋監督、豊川さん、ありがとう。
2007/03/11    


愛の流刑地を語ろうその2 / KK  
もう劇場で見えないのかと思うと、またひとつ蘇るシーンに書きたくなってしまいました。
それは、-----魔法の手-----
純愛映画といえば私の中では昭和なら、愛と死をみつめて・ある愛の詩でしょうか。平成の代 表はきっと愛の流刑地になるでしょう。
女性が愛する男性に看取られて死に逝くことはこの世の最後の幸せなのでしょうね、きっと。
純愛には『手を握る』このシーンが似合います。菊治と冬香もよく手を握っています。
一緒に歩いているときも、食事をしているときも、電車の中でも車の中でも、ベッドでも、その 時々の愛の頂点を二人が感じあっている。手を握るときって、きっと心のエクスタシーを感じあ っているのでしょう。
『心と体であなたを想う』と菊治がメールで伝えたことが、そのまんま映像になっていたように 感じます。
世の中便利になって携帯電話やメールで伝わることが多いけれど、素直に言葉や態度で相 手に伝えることって大切ですね、年齢に関係なく。

上賀茂神社の木の下で手を差し出してから、京都のホテルで『こういう事になるのはいや』と 言って手を握る、箱根のレストランで『いっしょに生きたい』と言って手を握る。
今の時代相手の手をとって思いを伝えることって、できるようでなかなかできない。
なにかしら救われたような場面でした。(これはきっと豊川さんの手だからでしょうか)

菊治は恋愛においては、精一杯のところがあって気持ちだけで動いている風に思えるのに、 自然にさりげなく、きざでなく女の手を握るという行為はまさに豊川悦司にしかできない手の 技ですね。
鶴橋監督は、おわらを想わせる冬香の手に恋の魔法をかけて、その手を追い求める菊治の 手も魔法にかかってしまったようです。

出会いのシーンは恋する瞬間を男性の視点で捉えています。表面には見えないけれど男性 の熱情を表現しているのではないでしょうか。それをおわらという踊りで菊治は伝えていま す。
女はストレートに男に熱情を露にしますが、男はそうじゃない。
そんな男性の熱情を駆り立てるような女性を描き、そしてまた求め続けているのでしょうか。 
2007/03/11   


愛の流刑地 / プリリン   
愛している人に殺して欲しいほどに愛しぬいて殺めてもらい、その男の最後の女になった
冬香。一目見て恋に落ち、心が生き返り愛し愛され、そして愛の果てに殺めてしまう男菊治。  好きな人に逢いたくて、逢いたくて、少しでも長く傍にいたくて、触れていたくて、話がしてい たくて・・・・そんな恋愛をしていた独身時代を思いださせてくれた菊治先生と冬香さんの純粋 なラブストーリーでした。
冬香さんの死は幸せの旅立ちだったんですね。
菊治先生を流刑地に閉じ込めて、身も心も独占して、この世とあの世のしのび愛がきっと
続くのでしょうね。
愛して、愛された心と身体の想い出と冬香さんの手紙が心の拠り所として菊治先生の流刑生 活を癒してくれるのだと思いたいです。 
2007/03/15   


映画「愛の流刑地」感想 / ニコ
2006年春、彼はテレビでくるくるパーマで頬を赤くした今までにない弁護士を演じていた。
そこにはひとつの壁を越えたような突き抜けた彼がいた。
壁は誰が作るのかいつのまにか積み上がり、目の高さ以上になれば
その先を見通すこともできなくて
越えることをあきらめてしまうかもしれない。
でも彼は越えた。
厚い壁をぶち破ったのか軽々と飛び越えたのかは知らない
でもふと気づいたときには彼の足元にかつて厚くて大きかったはずの壁の残骸があった。
そんな彼に見とれていたある日、次回作の話を聞いた。衝撃だった。
 
原作の評判は聞いていた。たぶん自分から手に取ることは無い類の話。
でも、彼が演じると知って読んでみた。
初老の今は売れない小説家と彼のファンの主婦が愛人関係になり逢瀬を重ね殺人に至る
その描写は男目線でいやらしく、考えることはことごとくいじましい。
本当にこれを映画にするのか、ありえないシーンがたくさんある。
 
でも鶴橋監督こそは確信犯だった。
彼は原作から共感出来るエピソードと描写を抜き出し、オリジナルをそっと加えて
圧倒的に美しい純愛の物語を作り出していた。
 
演じる人が変わってもそれはそれで成立するのです。でもちょっと違うものになる。
ある映画監督がそんなことを言っていた。
この映画はどうだろう。他の俳優で成立しただろうか。
最初の脚本の段階では他の誰かが演じる可能性があった菊治を
豊川悦司が演じることになったのは運命だし必然だったように思える。
彼でなければこの映画は成立しない
ひとつひとつのシーンがそう思える。
今となっては完全に鶴橋監督が
恋する瞳のテロリスト豊川悦司と、梨園の天女寺島しのぶのために
用意した話のような気がする。
 
鶴橋監督が、彼はブブカのようにひとつひとつのバーを軽々と飛び越えると言った。
そうなんだ
きっと、いつでも彼はそうなんだ
それならば私が感じた壁は最初からまぼろしだったのか
そんな気がしながらエンドクレジットの笑顔を見つめた。
2007/03/15  

さいとまっぷ