小さな白い本のページ



豊川さんの言葉が、文章が、好きです。
初めての単行本は、とても長いタイトルを持つ小さな白い本でした。
“愛することを恐れるべきでない私、 愛されていることに気づくべき私”
みなさまの感想で、白いページを埋めてみました。



姫だるまさんへ                           nanato
今日やっと、「愛することを恐れるべきでない私、愛されていることに
気づくべき私」を手にすることが出来ました。
本当に可愛い本なんですね。
装丁も、中に載っている写真も、もちろんLOVE LETTERも
全てがステキで、朝から何回も眺めては、ため息をついています。
BBSにも書いたけど、何故か読んでいると切なくて泣けてくるんですよ^^;

何故泣けてくるんだろう・・・
それは私がこれほど本気で人を愛した事も、愛された記憶も
ないからかもしれません。
豊川さんが羨ましい^^
本当に愛に生きる人なんですね。
こんなストレートな愛の表現が出来る豊川さんって、やっぱりステキです。
「僕が愛する全ての人へ」の中に、私も入っている事にしておこう・・・^^

2003/09/20


メールは詩だった                         ユミコン
真っ白の表紙にブルーの帯。シンプルで綺麗な本。
写真では分らなかったのですが、実際見たらすごくいい。
ページを開くのが惜しい気がして、帯の言葉を読んで、
夜、ゆっくり読むことにしました。

TV消して、携帯もマナーモードにして
2ページ程読んだところで、
パソコンの起動音さえも気になり、消しました。

メールは詩だった。
今まで読んだどんな詩よりも、
感銘を受けて、読み終わったとき、
なんともいえない充足感が。
小説というより、豊川さんの正直な気持ちに思え、
ますます、豊川悦司を好きになってしまった。
困った。なんで困るのか。良くわかんないんですが。
こんなに好きになってしまって、喜ぶべきことなのか。

本を読み終えたとき、切なさも伝わってきた。

2003/09/21


「魂」とばされました^^                      ターコ 
「愛されてることを恐れるべきでない私、愛されていることに気づくべき私」

素晴らしかったです。小説と言うより、もう詩集ですね。
読んだ初日は、ドキドキして寝付けなかったです。
※決して、変な妄想はしていません(爆)

これは、他サイトでも仰ってる方がいらっしゃいますが
まさに、事実ではなく彼の「真実」だと。。
その時折の、彼の真実の叫びです。

彼が、この愛のメッセージを一番伝えたかった
もっとも「愛する人」は、やはり娘さんでしょうか?
私たちもきっと「僕が愛する全ての人に」の中に入ってるよね。
入ってるだろう、入ってると思いたい。入ってるかもしれない・・・(笑)

P.S.1 p109の“あなたが幻を見てると言うのなら、僕はあなたのいう、
その幻を視ているのでしょう”ここマルット、僕を私に置き換えました。
幻と思えば、切なくもなるけど、幻の人相手の恋でも幸せだよね。

P.S.P.S. またしても、私です。
毎度の独断と偏見の意見を“あなた”は今回の書簡小説では
勿論ヒロインだけど今回に限ってだけだったのかな〜?
豊川さんっていつも、共演の女優さんの魅力を最大限に賛美されてる
感じがあるよね。
女優さんに限らずご自分が愛した女性達への思いを常にどこかに書き留めていたんじゃないかな?それの集大成として今回出版した。
何故に今?てちょっとだけ考えた。
アメリカのテロ事件を間に挟まれてるところを見ると、人間の愚かさへの怒りのようなものも、サラリと言いたかったんじゃないかなー?って。

 「心を洗う」の意味を悦友さんと語り合った。自分と向かい合う?いったいどの自分となんだろう?世俗に汚れた今の自分?鎧をきて、人より偉く見せようとか、強くみせようとか常に他人の目を意識してる自分。で出た結論が、人を愛することは、自分を愛すること。自分の最もピュアな部分を愛することだと。お前の今を、愛せるか?ってことと向き合うことだと。。 

2003/09/21


モノを創るということ                        みずがめ
豊川さんの本を、特に「あとがきにかえて」を読んでいて、思い出した文章があります。
劇作家で演出家の鴻上尚史さんの書かれたものです。
全部を引用できないので、下手ですが要約してみます。

モノを創るという行為は、自分の何かを傷つける行為である。
モノを創る時、多くのクリエイターは自分と向き合う。自分に問い続ける。
それは、自分という海に深く深くオモリを垂らして、海底を探る行為だ。
そして、そこで、海底に沈むごりっとした「何か」をつかめた時、初めて、表現に向かえるのだ。
海底にたどり着かないことも、「何か」と出会えないこともよくある。
そうとわかって、垂らし続ける行為は、激しい苦痛を伴う。
しかし、「何か」に触れたとき、苦痛は喜びと興奮に変わる。
そしてまた、垂らし続ける行為は、自分自身を傷つける。
その中で、自分自身が気付かないでいいことに気付き、
あいまいにしていれば通り過ぎていたことに出会うのだ。
そうして傷ついて創られた作品は、(つまらなくても)「何か」を受け手に伝える。
作り手の人生の「何か」を教える。
そして、受け手の心に長く残る。


豊川さんの書かれた文章も、演じられた役もそうなのだと、私には感じられます。
そしてまた思います。
「自分と向き合う」という意味で、豊川さんにとって、
愛するということと、表現するということは、とても近いのではないかと。

2003/09/23


あなたの「愛」と「魂」                       おぷてぃ
愛することを恐れるべきでない私、愛されていることに気づくべき私

初めてそれを手にした時
産まれたばかりの赤ちゃんを抱く時のように
緊張して 恐る恐る胸に近づけ
例えようもない喜びを感じました

貴方の思い ひとつ ひとつ
貴方の言葉 ひとつ ひとつ
噛みしめ 溺れながら 胸に刻み
毎日まるでお守りのように持ち歩いています

手にするたび 昨日よりも大切に感じている自分に驚き
そのタイトルの意味を考えながら
抱きしめたくなる 白い、白い本

ありがとう
あなたの「愛」と「魂」

2003/09/29


裸の心                                エナ
この本を手にした時、すぐに読めませんでした。
何故?よくわからないのです。いい表現が見つからないですが、
読む側も覚悟がいるというか・・・。ただこの本を目にした時、
シンプルで悦司らしい一冊だなと思いました。
 
本を「あとがき」から読んだのもはじめてでした。
 
81通の恋文もさることながら、「あとがきにかえて」にすべてが集約して
いるように思います。言葉の1つ1つが心にずんずん響いてきます。
愛したとき、やはり愛されたい、その感情は愛している証明、
愛することは心を洗うこと、心を洗うということは自分と向き合う、
自分に語りかけること。本当にその通りだと思います。
愛の形も色々あるけれど、どんな時にも真剣に人を愛したんですね。
 
裸の心を丸ごと見せてもらった気がして、彼の「真実」を知った気がしました。
 
お子さんへのメッセージなのかもしれない。
そして悦司が愛した人たちへのメッセージなのかも知れません。
魂の叫び、魂飛ばされました。私も魂飛ばしたい・・・・。 
 
大切な一冊の本、いつも自らのそばにおいていつも悦司の愛を
感じていたいと思います。
 
悦司に「ありがとうございました」という言葉を添えて、ペンをおきます。
 
2003/09/30



 

Last updated: 11/25/2003