『CARNE』を観たことによって、僕は生涯、ギャスパー・ノエ監督を追い続けることになるだろう。
・・・カルネ ギャスパー・ノエ監督 1994 俳優座シネマテン チラシ
このゲイリー・オールドマンを観るために、
僕は幾度となく劇場に向うだろう。
・・・レオン 監督リュック・ベンソン 1995 新聞広告
 ディテール。映画が始まってから、僕は左手の指先が気になり出した。主人公が己の身体のど
こかの部分をいつも気にしているように。映画が僕に染み込み出す予兆だ。
 サインペンを薬指の指紋の中心に置き、そこから渦巻の流れに治ってインクを走らせた。耳か
らは生理の琴線に触れるノイズが入り込む。地面を遭い回る虫のようなディテール。『クリーン,シ
ェーブン』と名づけられたハエの複眼がカメラだ。16ミリ独特の粒子の粗さが、それを増幅させる。
右手のサインペンは幾重にも織り込まれた渦をすり抜け、左の乳首へと近づいていた。映画の主
人公がカミソリで胸を刻み出すのと同じタイミングで。黒いインクは赤い血と変わり、僕はすでに映
画の中にいた。ケリガンのトリックである.
 それから先は80分足らずのディテールのカオスを楽しむだけである。そして映画が終わる頃に
は、ペン先は右足の小指の渦に届いていることだろう。それにしても、このディテールは、なんと
豊かなイメージを持っているのだろうか。
・・・クリーン,シェーブン 監督ロッジ・ケリガン 1996 シネセゾン渋谷チラシ
キスをせがむ唇

くそったれとか、死んじまえとか、呪ってやるとか、
アレを突き立ててやるとか、
たくさんたくさん、汚くののしる唇は、
最後の最後で一回のキスをせがみ、
愛してくれとか、愛してるとか、
愛ばかり、たくさんたくさん、語りたがる唇も、
やはり最後に一回のキスをせがむ。
でも、たくさんたくさん、キスをした唇は、
時々、すり切れるほど撲られて、ふくれ上がり、
気がつくと、血をにじませ、汚くののしりだそうとしている。
鏡に映る自分の唇もやはり、そんな風で、
血をにじませながら、キスをせがんでいる。
観終わった後の洗面所で歯を磨いていると、
映画の中に自分は立っていて、ピンボケの
登場人物達が、背後を行ったり来たりする。
・・・ニル バイ マウス 英 監督 ゲイリー・オールドマン 1998 パンフレット
自由と弾圧の狭間で芸術は命を吹き返す。
テロリズムと創造の狭間で人間は目覚めを繰り返す。
人間という名の芸術が
この映画の中にいる。
裸のくせに靴だけ履いたような
2001年にこの映画を
観られる事は救いである。
・・・夜になるまえに 監督ジュリアン・シュナーベル 2001.10.5 日本経済新聞 関西版広告
梅雨時に愚かものが街を往く。傘もささず、愚か者は濡れていく。
今、愚か者の目の前には、人生ほどの淵があり、
飛び越そうか、そのままどっぷり浸ってみようか、
秘かな決断を楽しむように、愚か者はにやりと笑う。
鈍い光の中で鈍く笑う・・・
・・・傷だらけの天使 愚か者 監督阪本順治 1998 パンフレット
市川監督と御近所という事になったので。御近所のよしみで出演しました。
下北沢にはよく行きます。芝居をやってたころは、スズナリなんかでもよく
やったし、自分の中では大切な街の一つです。
・・・ざわざわ下北沢 監督市川準 2000 パンフレット
「好きだった」なんて嘘だ。忘れることなんか出来ない。
「好きだ」という記憶がふえていくばかりだ。
でも松岡錠司は言う、「それを全部抱きしめることはできない。」
・・・私たちが好きだったこと 監督松岡錠司 1997 東映チラシ
『ネオ・シネマ・パラダイス』

 西暦2049年、<東京都中央区銀座>という地名は<第3惑星569区
銀河町>と改称された。その頃、僕はその569区内に唯一現存する
映画館に映写技師として就職した。約一世紀前には最盛期を迎えて
いた<映画>という文化は、この地上から完全に姿を消していた。
 かつて日本有数の映画ビルであった有楽町マリオンは、今は太陽
系惑星への転送ポートとなっている。いわば一昔前の国際空港だ。
数寄屋橋は二重橋とともに、ニューヨーク近代美術館の中庭に展示
され、皇居はとっくの昔に旧北海道に移転してしまった。網の目のよ
うだった地下鉄は、直径3キロメートルのエア・ロードに納まっている
し、上を見上げれば人工成層圏にレーザーで投影された満天の星
が光り輝き、スモッグすら懐かしく思えてくる。歩行者天国ならぬ土
日のフリーウェイには、丸や三角の自家用UFOがクルクルと飛び交
う。
 そんな中を僕は(といってももう87歳の老人なのだが)我が職場で
ある映画館へ向かった。そこにはまだ<銀座>という名前が残ってい
た。
 客席をのぞくと年寄りばかりだった。若い人達は映画など知らない
のだから当然のことである。少しうんぎりしながらフィルムを回す。カ
タカタと懐かしい悲鳴を上げて映写機が回りだす。
 映画が始まると例の子供が顔を出した。月2回の上映日には必ず
やって来る木星人の子供である。
 「今日は何を観るの?」僕の頭にダイレクトに質問が飛び込んでく
る。僕はテレパシーが嫌いなので、わざと言葉を口にした。「今日は
日本映画だよ。男同士で愛しあってる人が、女の人を好きになってし
まう話だよ」木星人には性別がないので彼はきょとんとした顔をして
いる。自分が出演してることは内緒にして60年前のフィルムを回す。
楽しくも悲しく、騒がしくも寂しい瞬間がせきをきる様に流れ続け、僕
は客と一緒になって夢中でスクリーンを追う。
 ふと木星人の子供をみると、彼は顔全部をおおわんばかりのギョロ
目をさらにまんまるにしてスクリーンを視つめている。宇宙人がこん
なに夢中になっているのになぜ地球人は映画を捨て去ろうとしたの
か、そんな疑問が頭に浮かんだ。
 映画が終わり、場内が明るくなると、子供のテレパシーが訴えかけ
てきた。「今度は何?」「そうだ。そう言えば映写技師と子供の話が
昔のイタリア映画にあったっけ。とてもいい映画なんだよ。そいつにし
よう」。
 それから僕は<シネスイッチ銀座>の古いプログラムをめくり出した。
そのイタリア映画のタイトルを思い出すために。
・・・CINE SWITCH Vol.28 1993.4.24[ リレー・エッセイ 第6回] 或る日、銀座で
 



もう一つのシネマ・ホリック 企画・資料提供/雪割草

映画の宣伝のためにチラシやパンフに寄せた文章
豊川さんが書くとまるで詩のようです






















































































































































 

Last updated: 6/6/2002